記紀の仮説 古事記の構成 

古事記の構成は、上巻、中巻、下巻の3部構成になっています。
上巻は、日本創造の神話です。
まず、天地が分かれたときから高天原があり、そこの主宰神として、別天つ神五柱と神代七代の12柱の神々が登場します。
最後に登場する伊邪那岐命と伊邪那美命の両神が次々に国(国土)を生み、神(専門家)を生んで行きます。
伊邪那美命は、生んだ火の神で火傷を負い亡くなり、残った伊邪那岐命は、生んだ三貴士の一人である天照大御神に高天原の統治を委ねます。
天照大御神の命により、生み出された国土の葦原中国に高天原から邇邇芸命が天孫降臨します。
邇邇芸命の子 火遠理命(山幸彦)は、兄の火照命(海幸彦)との抗争に勝ち、海神の娘 豊玉毘賣命との子 鵜葺草葺不合命が生まれます。
そして、鵜葺草葺不合命と、豊玉毘賣命の妹 玉依毘賣命との間に、神倭伊波禮毘古命(神武天皇)が生まれるという、それまでの一連の物語です。


中巻は、この神武天皇から応神天皇までの15代の天皇の略歴とエピソードをまとめた記録です。
下巻も、次の仁徳天皇から推古天皇までの18代の天皇の略歴とエピソードをまとめた記録です。


中巻と下巻を何故2つに分けたのでしょうか?
日本書紀では天皇の在位年の干支を記してありますが、それを基に単純に逆算すると、神武天皇の初代からの西暦は紀元前660年頃に遡るようです。
上巻の話の後に中巻の年代が続く(直列説)なら、上巻の天孫降臨で使われる太刀は銅剣だとしても弥生初期頃に伝わっており、中巻の始まる紀元前660年(縄文晩期)と辻褄が合いません。


これらの疑問は、中巻の応神天皇までの国家の生い立ちを上巻で神話として表現(並列説)されていると考えると、中巻と下巻を分けたことも含め、説明できます。


上巻の最後に出てくる神武天皇は、実は上巻の物語の最初のほうに現れる方かもしれません。
上巻の鵜葺草葺不合命が豊玉毘賣命の準備が間に合わないうちに生まれるのと、中巻の神功皇后が応神天皇を身ごもって船に乗る姿とが重なって見えてきます。

 


記紀の仮説 古事記の上巻と中巻 

 

 

古事記の中巻の冒頭には、神武天皇が日向を出て畿内の橿原宮で天皇として即位するまでの神武東征の話が記載されています。

 しかし、上巻と中巻が同時並行的な年代記述になっているとしたら、日本の始めから天皇に即位するような中央集権的勢力がいたことになります。

日本の始めが紀元前660年頃とすると、まだ縄文時代の晩期で、稲作が始まるかどうかの頃です。

この矛盾を解く鍵は、上巻と中巻にそれぞれ表裏2つの年代が記されていると考えると、説明できます。

上巻の表の年代は有史以前の日本列島誕生からの神話を表し、裏の年代は紀元前3世紀頃渡来人が住み着き神となってクニを形作って行く過程を表しているものと思われます。

また、中巻の表の年代は西暦300年前後の弥生時代から古墳時代への変遷の過程で九州にあった邪馬台国が東征して大倭となっていく過程です。

一方、中巻の裏の年代は、上巻の裏の年代に呼応して、紀元前2世紀頃からの倭国の王が世代が替わっても次々と承継して行き大倭になって行く過程です。

 古事記の上巻・中巻の裏の年代の事象と、上巻・中巻の表の事象、日本書紀の事象、および史実や遺跡や地名などを比較検討していくことで、全貌が見えてくるような気がします。

地名は、移住元の地名を移住先でも名付けているケースが多々あるので、記紀の記述も、1つの地名で2つの地域を指している可能性があります。

 

 

 


記紀の仮説 天皇の仮説 

各仮説の詳細については、下表の天皇(古事記上巻名)リンク先のブログに綴っています。

ご確認ください。

在位西暦年 在位年数 天皇 古事記上巻名 古事記中巻名 日本書記名 天皇の宮  解説  中心地 関連遺跡  歴史イベント
約BC310 - - 天之御中主神 - 天御中主尊 - 最初の神 福岡 伯玄社遺跡  
約BC250 - - 高御産巣日神(高木神) 高木神 高皇産霊尊 - 高木神の祖? 福岡 吉武高木遺跡  
BC239~BC160 79 神武天皇①

神武天皇②
神産巣日神 神倭伊波禮毘古命 神日本磐余彦天皇 高千穂宮 倭国の創始者? 福岡→佐賀 吉野ヶ里遺跡 秦の徐福渡来
中国:前漢
BC160~BC127 33 綏靖天皇 宇摩志阿斯訶備比古遅神 神沼河耳命 神渟名川耳天皇 葛城の高岡宮 葛城→三根郡葛城郷 佐賀 吉野ヶ里遺跡 倭が文献登場
BC127~BC89 38 安寧天皇 天之常立神 師木津日子玉手見命 磯城津彦玉手看天皇 片塩の浮穴宮 師木津→鴫津 佐賀 吉野ヶ里遺跡  
BC89~BC54 35 懿徳天皇 国之常立神 大倭日子鉏友命 大日本彦耜友天皇 軽の境岡宮 境岡宮→神埼市千代田町境原 佐賀 吉野ヶ里遺跡  
BC54~BC31 23(83) 孝昭天皇 豊雲野神 御真津日子訶恵志泥命 観松彦香殖稲天皇 葛城の掖上宮 葛城→三根郡葛城郷 佐賀 吉野ヶ里遺跡  
BC31~11 42(102) 孝安天皇 宇比地邇神
須比智禰神
大倭帯日子國押人命 日本足彦国押人天皇 葛城の室の秋津島宮 葛城→三根郡葛城郷 佐賀 吉野ヶ里遺跡  
11~87 76 孝霊天皇 角杙神
活杙神
大倭根子日子賦斗邇命 大日本根子彦太瓊天皇 黒田の庵戸宮 庵戸→佐賀県神埼郡吉野ヶ里町伊保戸 佐賀 吉野ヶ里遺跡 中国:後漢
57年訪中、金印
87~144 57 孝元天皇 意富斗能地神
大斗乃辨神
大倭根子日子國玖琉命 大日本根子彦国牽天皇 軽の堺原宮 市の近くに都
玖琉→玖留目神→久留米に関係
福岡県朝倉 平塚川添遺跡 107年帥升訪中
144 0(60) 開化天皇 於母陀流神
阿夜訶志古泥神
若倭根子日子大毘毘命 稚日本根子彦大日日天皇 春日の伊邪河宮 春日の伊邪河→福岡県春日市 福岡 吉武高木遺跡  
144~212 68 崇神天皇 伊邪那岐神
伊邪那美神
御真木入日子印恵命 御間城入彦五十瓊殖天皇 師木の水垣宮 御真木→巳百支→糸島出身。倭国の領土拡大。 福岡→宮崎 三雲・井原遺跡 倭国大乱
212~251 39(99) 垂仁天皇 天照大御神 伊久米伊理毘古伊佐知命 活目入彦五十狭茅天皇 師木の玉垣宮
纏向の珠城宮
伊玖米→生目→宮崎出身。九州の邪馬台国を近畿まで拡大。 宮崎→近畿 生目古墳
箸墓古墳
中国:魏,呉,蜀
232年新羅(辰韓?)戦
251 0(60) 景行天皇 天忍穂耳命 大帯日子淤斯呂和気天皇 大足彦忍代別天皇 纏向の日代宮 天照大御神の指揮下で纏向を治める (纏向) 纏向遺跡  
251 0(60) 成務天皇 邇邇芸命 若帯日子天皇 稚足彦天皇 近つ淡海の志賀の高穴穂宮 天照大御神の指揮下で中国地方を治める。近つ淡海→宍道湖。志賀→出雲市斐川町原鹿。倭建命とも同一人物か。 (出雲) 荒神谷遺跡  
252~261 9 仲哀天皇 火遠理命 帯中日子天皇 足仲彦天皇 穴門の豊浦宮
筑紫の訶志比宮
卑弥呼死後の男王。狗奴国対応で福岡へ 福岡 平原遺跡  
261~330 69 神功皇后 豊玉毘賣命 息長帯比賣命 気長足姫尊 小山田邑の斎宮 卑弥呼死後邪馬台国を承継し、全国に拡大した台与 福岡→近畿 平原遺跡
佐紀・盾列古墳群
中国:晋
292,294年新羅(辰韓?)戦
330~373 43 応神天皇 鵜葺草葺不合命 品陀和気命 誉田天皇 軽島の明宮 大倭統一成る 近畿 古市古墳群 364年新羅戦
373~427 54 仁徳天皇と倭の五王 大雀命 大鷦鷯天皇 難波の高津宮 難波(鳴門の渦潮)→讃岐に所縁 近畿 百舌鳥古墳群 393年新羅戦

 

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